🎧 ジャズ丸日報:中古CDセールで出会った“うるさいピアニスト”
たまたま立ち寄ったショッピングモールの一角で、
小さな中古CDセールが開かれていた。
最近ではもう滅多に見かけない光景だ。
段ボール箱の中に積まれた円盤たちは、
どれも“誰かの思い出の抜け殻”のように沈黙していた。
だが、値札を見た瞬間、少し現実に戻る。
昔なら100円コーナーにいた連中が、なぜか580円。
洋楽も軒並み強気。
ジャズを探しても、まるで絶滅危惧種。
そんな中で一枚だけ手に取った――
バド・パウエル『The Scene Changes』。
ピアノの音に癒やされたい、そんな淡い期待を抱いて。
……ところが。
再生ボタンを押した瞬間、俺の部屋は**“唸るおっさんのスタジオ”**と化した。
演奏中ずっと、謎のハミング。
ピアノと一緒に、誰かの魂が漏れている。
調べたら、やはりバド本人だった。
> 「せっかく曲はいいのに、このおっさんを黙らせてくれ!」
「ピアノだけ録ってくれ!マスクでもさせて!」
……と心の中で叫ぶ俺(笑)。

その後、図書館で借りたキース・ジャレット『Creation』を聴いた。
クラシックとジャズの狭間で崩れていくような美しいピアノ。
――そう思っていた矢先、またもや。
うぉぉ… んんんん… おほっ……!
部屋の後ろで誰かが呻いているのかと思って、思わず目を開けた。
キースもまた“神がかり型のおっさん”だった。
まるでピアノを通してトランス状態に入っている人類代表だ。
> 「バドが地獄で唸るなら、キースは天国で呻く」
どちらにしても、静寂は訪れない(笑)。
完璧に整えられたデジタル音では届かない、
人間の熱と狂気の呼吸。
今日は結局、一枚だけの収穫。
でも、俺の脳内ではいまだに
おっさんのハミングがリフレインしている。
静寂を求めた午後に、
残ったのは人間の声と、笑えるほどのリアルだった。
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ローファイソング、オルタナティブロック、変わり者の音楽好きは要チェックです
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なぜストリーミングで聴いた曲は覚えていないのか
――音が軽くなった時代に、記憶はどこへ行ったのか。
朝、Spotifyが勝手に流してくる「あなたへのおすすめ」を聴く。
悪くない。むしろセンスがいい。
でも夜になると、もう一曲も思い出せない。
再生履歴を見て「え、こんなの聴いたっけ?」と首をかしげる。
たぶん、僕の脳が便利すぎて飽和しているのだ。
次から次へ、アルゴリズムが“最適化された心地よさ”を与えてくれる。
だが、あまりに滑らかすぎる快楽は、記憶のどこにも引っかからない。

同じ曲をCDで聴くと、少し違う。
ケースを開け、トレイに置き、再生ボタンを押す。
その三秒の手間が、音と一緒に心を整える。
「この曲を聴こう」と意識した瞬間の記憶が、音より強く残る。
つまりストリーミングは、“音”だけを運んでくる。
でもCDやカセットには、“儀式”がある。
手を動かし、時間をかけて、音を迎える行為。
その手間こそが、記憶のトリガーなんじゃないか。
Spotifyにはないノイズ。
CDにはある静寂。
どちらも同じ曲のはずなのに、
心に残るのは、手で触れた方の音だ。
効率の良い音は、生活に溶ける。
手間のかかる音は、人生に刻まれる。

たぶん、便利な時代に必要なのは
「不便のリズム」で音を聴くこと。
それは、アナログへの回帰でも、懐古趣味でもない。
ただ、自分の“記憶を取り戻す”ための方法だ。
次回は「LP vs CD vs カセット──令和の音の三国志」で、
実際の音の質と“心の残り方”を比べてみようと思う。
🎞 2億画素の時代に、ぼやけた写真が恋しくなる理由
最近のスマホ、たとえば俺の Galaxy S25 Ultra。
メインカメラ5000万画素、広角2億画素。
…もう笑うしかない。
どんな被写体も、ありえないほど鮮明に映る。
肌の毛穴も、夜のネオンも、ちょっとしたホコリまで。
だけど――ふと思う。
**「俺、写真撮らなくなったな」**って。
📸 完璧すぎて、余白がなくなった
昔の iPhone 6 や 7 の頃。
ピントがちょっと甘くて、
夕暮れの光がにじんで、
その“うまくいかなさ”が愛しかった。

(iphone6 で撮影↑ 2016年 鳥も撮れてる なんか味がある写真だね)

(iphone6 で撮った月、ほぼなんだか分からない(笑))

( samsung Galaxy S25 月もここまでスマホで撮れる時代、これはこれで面白いけどね)
失敗写真にこそ、人間のリズムがあったんだ。
今のスマホはAI補正が全部やってくれる。
「綺麗ですね」と言われても、
それは俺の感性じゃなくて、アルゴリズムの成果だ。
便利すぎると、心の出番がなくなる。
撮る意欲が消えるのも、ある意味自然な話かもしれない。
🧠 撮ることが「評価」に変わった時代
昔は“メモ”だった。
旅先の空、コンビニの看板、部屋のカーテンの影。
「この瞬間、いいな」と思ったら撮るだけ。
でも今は違う。
SNSで見せる前提。
「うまく撮らなきゃ」「加工しなきゃ」――
写真が作品になりすぎた。
完璧に撮ろうとするほど、
心が離れていく。
あの頃の“適当さ”の中に、
いちばんリアルな自分が写ってたのかもしれない。
🌆 ぼやけたピクセルの中に、記憶がある
Galaxyの写真は、確かに美しい。
でも、
「美しい」って、時に“つるつるしてる”ってことでもある。
あの頃の iPhone 写真、
少し荒くて、
空気が写ってた。
ブレもノイズも全部、その日の空気ごと封じ込めてた。
最新カメラは現実を忠実に再現するけど、
心までは再現しない。
たぶん、俺たちは“現実”じゃなくて、“記憶”を撮りたかったんだ。
☕ テクノロジーの臨界と、ブルースの再生
2億画素の先に何がある?
人間の視力が追いつかない世界。
でも、感情はいつもピントが合わない。
だから人は、レトロアプリを使って“曖昧さ”を再現する。
ノイズを足して、温度を戻そうとする。
それは懐古じゃなくて、回復なんだ。
解像度が上がるほど、心はにじむ。
だから僕らは、わざとぼかす。
それは、見えすぎた世界への静かなジャズ的反抗だ。
🎷 結び:ピクセルよりも、粒子を愛せ
テクノロジーが思い出を奪ったわけじゃない。
ただ、整えすぎただけだ。
ぼやけた写真が恋しいのは、
そこに「自分の手触り」があったから。
2億画素より、
200万画素のあの頃の曖昧な笑顔のほうが、
まだ本物に見える。
👇 今、逆にiphone☺8あたりが欲しい。3g,4s,6,6s,7,x,xs 11,12proあたりは過去使ってたり、持ってたりするけど8あたりからアンドロイドにいっちゃった。8あたり中古で探してます☺ だって最近のiphone20万くらいするし買えないよ(;^ω^)
勝手にJAZZ|MASTERS OF JAZZを110円で拾った話
最近ブックオフオンラインで見つけたCD、
「MASTERS OF JAZZ」っていうやつ。
なんと110円。いや~、ありがたい時代です。

🛒 ジャズ祭りは突然に
よくブックオフオンラインを見てるんですが、
たまーに“ジャズ祭り”が来るんですよ。
ジャズCDが100円台でドサッと並ぶタイミング。
気づくとカゴに10枚くらい入れてて、
「またやっちゃったな」って思う。
リアル店舗が減ってる分、ネットでジャケ買いが癖になってきた。
CDショップもどんどん消えて、
“視聴機でジャズを聴いて知らない名盤に出会う”っていう
あの感覚、もうなかなか味わえない。
だからせめて、画面越しのジャケで心を動かす。
💿 今日の戦利品:MASTERS OF JAZZ
1996年のVictor盤。
Riverside、Prestige、Pabloの名演を集めたサンプラーで、
ジャケットの色味がまず最高。
この手描き風のミュージシャンたちがたまらん。
収録は以下の13曲。
まさに「ジャズ史のオールスター戦」って感じです。

-
ホワッツ・ニュー(スタン・ゲッツ)
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ジャンゴ(MJQ)
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セント・トーマス(ソニー・ロリンズ)
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一晩中踊れたら(シェリー・マン)
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マイ・ファニー・ヴァレンタイン(マイルス・デイヴィス)
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ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ(アート・ペッパー)
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ラウンド・ミッドナイト(セロニアス・モンク)
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コートにすみれを(ジョン・コルトレーン)
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蓮の花(ケニー・ドーハム)
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ワーク・ソング(ナット・アダレイ)
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フォア・オン・シックス(ウェス・モンゴメリー)
-
ワルツ・フォー・デビイ(ビル・エヴァンス)
☕ 聴いてみたら
最初の“ホワッツ・ニュー”から、部屋の空気がやわらぐ。
“セント・トーマス”は相変わらず軽やかで、
“マイ・ファニー・ヴァレンタイン”のマイルスは、
もう夜そのもの。
最後の“ワルツ・フォー・デビイ”で完全に脱力。
仕事帰りとか、休日の午後に流すのにちょうどいい。
💭 結論:110円でこの幸福度
AIのおすすめプレイリストも悪くないけど、
こういう“誰かが手で選んだ寄せ集め”には、
やっぱり温度がある。
ジャズってむずかしいと思ってる人にも、
「とりあえずこれ一枚」で十分。
古びたCDデッキで聴くと、
ちょっとだけ人生がジャズっぽくなる気がします。
朝のぼんやりタイム
夜のまったりタイムにもおすすめですよ👇 (*´ω`*)
🎷ローファイ音と古物のあいだで、記憶は鳴る
🕰️ はじめに:懐かしさは、過去じゃなく“感覚の再起動”
最近、「昭和レトロ」「平成レトロ」という言葉を耳にする機会がまた増えた。
若い世代でさえ、古いカセットデッキやフィルムカメラ、CRT風エフェクトの写真を愛でている。
でも、あれは単なる懐古趣味じゃない。
たぶんみんな、デジタルの明るさに少し疲れて、あの“曇った時間”に還りたくなっているのだと思う。
完璧じゃない、少しザラついた音と光——その不完全さが、むしろ人を落ち着かせてくれる。

🎛️ カセットの「カチッ」と風の「ゴーッ」で思い出す空気
僕の部屋では、カセットデッキがいまも現役だ。
再生ボタンを押すと「カチッ」と鳴り、テープがまわる“ウィーン”という音。
それだけで、遠い夏の部屋や友人の笑い声がふっと蘇る。
📸 古いコンデジとMTR、まだ現役の証言者たち
デジタル全盛の時代に、僕の机の上には**古いコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)**と
**MTR(マルチトラックレコーダー)**が並ぶ。
ピントが甘く、ホワイトバランスも迷子。
でも、その不完全さがたまらなく愛しい。
録音ボタンを押すと、「カチッ」と機械音がして、
部屋のノイズ、息づかい、そして“時間”までも一緒に記録してくれる。
AIには再現できない、“記憶の揺らぎ”がそこに宿っている。
音や物は、記憶のショートカットキーなのだ。
🧠 ノスタルジーと「心のリハビリ」効果
心理学では、懐かしさを感じる体験が人に良い影響を与えるとされている。
「回想療法(Reminiscence Therapy)」という研究によると、
昔の音や写真を通して記憶を刺激すると——
-
感情が安定する
-
自己認識が回復する
-
社会的つながりが再び生まれる
といった効果があるらしい。
人は“ノスタルジー”を感じるとき、前頭葉と報酬系が同時に動くらしい。
つまり、懐かしさは天然の抗うつ剤なのだ。
☁️ デジタル時代に、曇った音を選ぶ理由
SNSもAIも、日々の生活を“最適化”してくれる。
でも、ときどきそれが息苦しく感じる瞬間がある。
そんなとき、
壊れかけのデッキがノイズ混じりに音を流してくれると、
「これでいいんだ」と思える。
デジタルの解像度では救えないものを、
アナログの“揺らぎ”が救ってくれる。
それが僕にとっての、ローファイ(Lo-Fi)セラピーだ。
🎵 結び:音も物も、心の奥を鳴らすために
カセットがすこし軋んでもいい。
巻き戻しが遅くてもいい。
その“ズレ”の中に、人間の時間が流れている。
僕は今日も、曇った音を鳴らして部屋の空気を整える。
音も物も、記憶の“間”を鳴らすために。

📀 ローファイな日々の延長に、アルバムを作りました。
この感覚をそのまま音にした、ローファイ・オリジナルアルバムを制作しました。
Bandcampで配信中です。ヘッドホンで夜に聴くと、部屋の時間がゆっくりと溶けていくはずです。
「Rebel After Coffee──AIとカセットのあいだで鳴る、俺の音」
AIで曲が作れる時代になった。
コードもビートも、自動で整って、ノイズひとつない。
だけど──それが、なんか違うと思った。
だから俺は、**“少し壊れた音”**を探し始めた。
ギターがよれてる、ドラムがずれる、カセットが鳴る。
完璧なAIの世界に、わざと不器用な呼吸を混ぜた。
今回のアルバム『Rebel After Coffee』は、
AIに頼りながらも、AIの手をすり抜けた音の記録。
人間のノイズとデジタルの残響が、コーヒーの苦味みたいに溶けている。
どこまでがAIで、どこからが俺なのか?
そんなこと、もうどうでもいい。
音が鳴って、心がちょっとでも震えたなら、それがすべて。

🎷 Rebel After Coffee – Jazz Maru
Lo-fi grunge, dream pop, and crooked jazz.
Recorded somewhere in Chiba, Japan.
バンドキャンプ 視聴できます👇
ローファイロック、ドリームポップ、ジャズなど色々入ってます☆彡
✍️ あとがき
AIが音楽を作る時代に、俺がやりたいのは「機械への反抗」じゃない。
**“ゆらぎを取り戻すこと”**だ。
AIの整ったフレーズを、人間の雑音でほぐしていく。
それだけで、世界が少し柔らかくなる気がする。
Rebel After Coffee──
コーヒーのあとに反抗する。
そんな小さなローファイ革命を、今ここで鳴らしている。
🎧 時代はめぐる。音の手ざわりを求めて。
スマホひとつで、世界中の音楽が聴ける。
プレイリストを開けば、次から次へと新しい曲が流れてくる。
でも――気づけば、何も残っていない。
あの感触が、ない。
いつの間にか、音楽は“触れるもの”から“流すもの”になってしまった。
BGMに最適化された曲は便利だけど、
耳から入ってきて、心をすり抜けていく。
好きだったはずのアーティストの曲名さえ、思い出せない日がある。
AIが作る音楽も、もう珍しくない。
生成、最適化、アルゴリズム――。
全部すごい。でも、なぜか息苦しい。
なめらかに整いすぎていて、
“ノイズの向こうにある何か”が、消えてしまったような気がする。
海外ではここ数年、CDの売り上げが少しずつ伸びているらしい。
SpotifyやApple Musicに飽きた人たちが、
再び“モノ”としての音に帰ってきている。
ジャケットを手に取り、盤面の傷を眺め、
再生ボタンじゃなく“再生の儀式”を楽しむ人たち。

レコードは依然としてCDより売れているし、
あいみょんも新譜をカセットで出す。
あの磁気の揺れが、また時代を回している。
「めぐる」とは、もしかしたら“戻る”ことじゃなくて、
“もう一度、人の温度で鳴らす”ことなのかもしれない。
僕も最近は、
リサイクルショップでジャンクな機材を探しては、
カセットを回したり、壊れかけたスピーカーをつないだりしている。
古びたアンプのボリュームを回す瞬間、
あの頃の手の感覚がよみがえる。
指先で音を出していた頃の、自分のリズムが戻ってくる。
スマホより重たい。
手間もかかる。
でも、それがいい。
“音と自分のあいだ”に距離があるほうが、
なぜか呼吸が合う気がするんだ。
きっと、音楽を聴くって、
「自分を鳴らすこと」なんだと思う。
完璧な音よりも、歪んだ音のほうが、
いまの自分にはしっくりくる。
――そんなことを考えながら、
今日もカセットを巻き戻している。

🎧 今日の一枚: Tom Waits – Closing Time
ぼろいスピーカーからこぼれるピアノとウイスキーの匂い。
こんな夜は、沈黙さえ音楽になる。





